軽トラ1号車のお話

軽トラ1号車 九州にて

スーパーカー世代の私であるが、「車には興味がない」と公言して30年以上が経つ。とは言っても、趣味の対象として興味がないのであって、ずっと持ち続けてはいる。その間に何十台の車を乗り継いだのか、記憶にない。もちろん、ほとんどはタダみたいに安い車ばかりだし、興味がないので写真なども撮っていない。

そんな私の車遍歴において、2回だけ新車を買ったことがある。2台の軽トラックだ。1台目は平成13年に、当時トランポとして使っていたホーミーが怪しくなってきたので購入した。以下1号車。4年を待たずに10万キロを超えた記憶はある。

2台目は平成19年に購入。引き取り仕事が忙しくなり、1台では限界を感じていたところだった。2台目は贅沢にもオートマだ。以下2号車。2号車を購入した段階で、1号車は仕事の相棒に使ってもらうことにした。整備その他の維持は引き続き私が担当していた。

1号車は新車で購入してから、クラッチ交換、ヘッドOH、コンプレッサー交換、エンジン載せ換え、そのエンジンのクラッチ交換、オイルは3000キロ以内毎に交換、その他の整備を行ってきた。全て自分でやったわけではないが、大掛かりな物以外は全て1人で整備してきた。車には興味はないが、何かが起こるとめんどくさいので、極めて大事にはするのが私の車に対するスタンスだ。

1号車は25万キロ越え、2号車は18万キロに手が届きそうなくらいに乗ってきた。ここ数年は、バイクの引き取りを必要とする仕事は激減し、2台のトラックを維持する必要があるのかどうかの判断を迫られていた。そんな折、今年の車検を控えた1号車に問題発生。ついにオルタネータがお亡くなりになった。ここで費用をかけて車検を継続するという選択肢は考えられないので、そのまま手放すことにした。車には興味がないとはいえ、長年手塩にかけて維持してきた車に引導を渡すのはあまりいい気分ではない。

そこでふと、去年自転車を通じて知り合った友人が、以前軽トラを探していると言っていたのを思い出した。それもまあ去年の話なので、ダメ元で打診してみた。結果、是非とも欲しいとのことだった。

もともと廃車も視野に入れていただけに、友人が乗ってくれるというのはとても嬉しい。その友人はピスト(フリーなしで、前後シングル固定ギヤの自転車)でどこまでも行ってしまう剛脚の持ち主。にもかかわらず、貧脚の私を、何度かツーリングにもお誘いいただいた。その友人、以下「ピスト君」は九州への引っ越しが決まっていて、その荷物を自分で運びたいのと、九州では軽トラが必須の生活になるとのことだった。これから先、1号車がどこまで走ってくれるのか見当もつかないが、ここ数年私が乗っていない間に劣化してしまった部分をブラッシュアップし、九州でも頑張って働いてもらうために、全力で整備することにした。

八王子陸事では最後の車検

さて、まずは車検と洗車である。車検はオルタネータをリビルド品に交換して、へたっていたバッテリーを良品に交換、タイロッドエンドブーツを一個替えるだけで合格。長年にわたる、過剰整備の賜物と言える。そして洗車は…大変だった。整備よりもはるかに時間がかかった。1号車を使っていた仕事の相棒は、私よりも車に興味はあり、ものすごく詳しいが、整備清掃は一切しない人。狭い車内はとんでもなく汚れ、ごみと埃の山。私の使う2号車より、はるかに稼働時間は短いのだが、汚れは10倍以上だ。ちなみに、そういう私はさほどきれい好きでもなく、潔癖症でもない。

内装を外しての清掃、あおりの歪みの修正、キャビンと荷台の清掃、破れたシートの簡易補修、部分塗装、下回りの清掃などを1か月以上にわたり時間を見つけながら行った。相棒が気にしないので直してなかったエアコンガスも入れて、セレクタレバーも直した。最後に油脂類を総交換し、大量の洋楽と陽水の入ったMP3CDとともに、11月初頭にピスト君に手渡した。のんびり下道で、寄り道しながら九州へ向かうそうだ。

その後、8日ほどしてピスト君から到着の知らせが届いた。無事九州まで走り切った軽トラ1号車に、遠くから感謝と労いを送った。ピスト君もお疲れ様である。車には興味はないが(しつこい?)、これほど長年共に走った車はなく、古い友人のような存在になってしまった。九州は父親の実家もあり、自転車でもバイクでも訪れている特別な場所。いつかまた、軽トラとピスト君に会いに行くために、頑張るのみである。